フリープランナー 兵庫 裕美

PROFILE

WEDDING PLANNER

兵庫 裕美 HIROMI HYOGO 

1986年生まれ、大阪府吹田市出身。
高校在学時にバンド活動を始め、卒業後もインディーズバンドとして精力的に活動。
24歳より結婚式場でウェディングプランナーとしての経験を積む。

ウェディングプロデュース会社の立ち上げより参加し、1から結婚式を創る魅力に惹かれ、改めてウェディングプランニングの奥深さを知る。
1組1組に寄り添いストーリーを大切にしたデザイン・演出を得意とする。

2023年より独立し、kenobi weddingとして活動をスタート。

…と、簡潔に書きましたが、堅苦しく書くのは苦手な為、自分らしい自己紹介はここから。
長くなりすが、お付き合いいただける方はご覧ください。

 

旧グッゲンハイム邸で自由な空間装飾

1986年生まれ
大阪府吹田市生まれ・育ち・現在も暮らしています。

ふたりの男の子の母です。
兄は正義感が強くて世界で一番の母の味方、とてつもなく優しいです。

弟は絵に描いた次男、想像の2枚上を行くヤンチャ坊主です。

15歳から高校の同級生とバンドを始めました。
担当はベース。

高校卒業後は進学せずインディーズバンドの道へ。

今振り返っても、多くのことに葛藤し、必死すぎる自分の感情が渦巻いていた時期でした。

この頃の達成感と反省が、今の自分を作ったように思います。

9年間同じバンドで活動し、24歳の時に第二の道へ。

バンドしかしてこなかった私がこれから何をしようか?そう思った時、出席した結婚式を機に「ウェディングプランナーになりたい」突発的にそう思いました。
この時点では正直、あまり深い意味はありません。

長い年月志して手にした職というよりも、長く続ける中で、時を経るごとに、新郎新婦様に出逢うごとにどんどん好きになっていく、私にとってこの仕事はそんな存在です。

24歳で式場のプランナーとしてスタート。

今考えると他の式場よりも「プランナーが全てを担う」その気持ちが強い会場でした。

鳥とブタを飼っていた会社だったので、休みの日に動物の餌やりに出勤していた(笑)とか今でもネタにしていますが、ここでキャリアをスタートできてよかったなと思います。

28歳の時には一度ウェディングの仕事を離れました

月に8組ほどの担当をする仕事にいろんな迷いも出たし、疲れてもしまっていたと思います。

今更の自分探しの旅(笑)と友人に揶揄されながらも、3ヶ月間フィリピンで過ごしてみた、ヨーロッパを一人旅してみたり、今思うとあの時やっておいてよかったな…と思うことばかり。

心機一転!とかっこ良さそうという理由で、広告業界/PR会社に勤めたのですが…これがいけなかった。。。(笑)

届くメールも会議もカタカナ用語ばかりで、その単語を調べながらメールを見ても全然内容が入ってこない!(笑)

私にはついていけず、早々にギブアップしてしまいました(笑)

やっぱりウェディングプランナーが好き!離れたから気づいたことも沢山ありました。

運良くプロデュース会社「WEDDING DESIGN LAB」の立ち上げタイミングに参加できることに。

改めて自分の未熟さにも直面しながら、自分のプランナーの礎を作ってくれたかけがえのない仲間にも、可愛い後輩にも出逢うことができました。

この仲間がいなかったらとっくに辞めてしまっていたと思います。

最初からフリープランナーを目標に来たのか?そう問われると私は全くそのタイプではないと思います。

じゃあ何がきっかけだったのか?と考えると、「この会社に」ではなく「兵庫さんに任せたい」そう言って問い合わせくださる方に出会える機会が少しずつ増えたことだと思います。

もっとふたりのことも知りたいし、私のことももっと知って欲しい。

その上でパートナーとして選んでもらえたらと、少しずつ今の道が見えてきた様に思います。

「新卒フリーランス」そんな選択肢もある時代にプランナー13年目での独立。
なが〜い回り道もしたかもしれませんが、私にはこれでよかったと思える道です。

10年を超えると現場のプランナーという仕事よりも、後進の育成や学校の先生、コンサルティングなど、ウェディング業界でも担う役割が変わっていく方が多い様に思います。

でも私は何年経ってもあまり業界には惹かれないんです(笑)

私が関心を寄せるのも、胸を躍らせてくれるのも、それはいつまでも変わらず新郎新婦様。

「新郎新婦様と一緒に結婚式を創っていく」

どこまでもこの仕事が好きなんです。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。